2010年9月29日水曜日
2010年9月25日土曜日
2010年9月21日火曜日
2010年9月18日土曜日
2010年9月17日金曜日
2010年9月15日水曜日
歴史
2007年9月8日(土)
午前中「ムラ・シマ講座」(湧川)を行う。7月と8月は台風と大雨で開催することができませんでした。今日は天気がよく、青空は高く感じます。かすかな秋の気配なのかもしれません(日差しは、まだまだ強いです)。
1736年の湧川村の新設は以下のようなことが読み取れる。人口の増加や蔡温の山林政策だと記されるが、それだけではない。以下のようなことが読み取れる(詳細については別稿で紹介する)。
・現在の湧川地域は1690年以前は今帰仁間切の内である。
・1690年頃今帰仁間切から羽地間切域となる。
・1736年に湧川地内(羽地間切)にあった5つの村(呉我・振慶名・我部・松田・桃原)を現在地へ移動させる。
・1736年に5つの村を移動させると、そこは今帰仁間切域とする。
・1738年に湧川村を創設村する。
・『琉球国由来記』(1713年)に出てくる呉我・松田・振慶名・我部村は現在の湧川内にあった、
・上書の我部巫火神(我部・松田)・我部村神アシアゲ・松田村神アシアゲ・掟神火神・呉我村神アシアゲ
は湧川地内にあった時代である。
・1738年に新設された湧川村に御嶽や神アシアゲをつくり祭祀を行っている。
・我部と松田の村は屋我地島へ、振慶名は羽地間切の中央部へ(羽地大川流域)、呉我村は羽地大川
の河口域に移動する。
・村が移動するがノロ管轄は変わることなく我部ノロ管轄である。(移動前は近隣にあった村が遠距離、
あるいは海越となるが変更されることはなかった。
・現在でも湧川のウプユミとワラビミチの時、我部・呉我などから神人が湧川にやってくる。
・『琉球k国由来記』(1713年)の頃の今帰仁間切の地頭代は「湧川大屋子」であったが、新設村に湧川村
と名づけ、その後の資料を見ると今帰仁間切の地頭代は古宇利親雲上を名乗るようになる。
・村移動は羽地大川沿いの開拓と屋我地島の開拓にあったと見られる。
・湧川にある奥間アサギは奥間親雲上の家跡とみられる。
・奥間親雲上は羽地間切我部村(1736年移動前なので現湧川地内)生まれである。
・奥間親雲上は羽地間切親川村地頭代立川親雲上が問題を起こし家内取揚げ、流刑にされたとき、
南風掟役であったが職を辞し今帰仁間切勢理客村に屋敷を構えた。今帰仁間切の役職を戴き首里
大子、さらには地頭代までなる。
・奥間親雲上の生まれ故郷である我部村(現湧川地内)の祭祀と今でも密接に関わっている。
・奥間親雲上は雍正5年(1727年死去)している。現湧川地内にある奥間アサギは奥間親雲上の
今帰仁間切勢理客村に移動する前の屋敷とみられる。そのアサギ内には火神が祭られている。
・勢理客村に移った奥間親雲上の一族は今帰仁間切の地頭代や湧川親雲上や首里大屋子・兼次
親雲上・諸喜田大屋子などの間切役人を出している(勤職書あり)。
・その家筋は嶋スンコノロクモイ(勢理客ノロ)を出す家でもある。
・奥間親雲上の墓所はヤガンナ島にあった。

▲奥間親雲上の屋敷跡とみられる奥間アサギ ▲奥間親雲上一族の墓のあるヤガンナ島
湧川の講座が開催できました。台風や大雨で順延になっていました。湧川のヌルドゥンチ跡、御嶽、ムラガー、神アサギ、新里ヤー、そして塩田跡まで行きました。
①湧川のウタキ ②湧川のヌルドゥンチ跡

③湧川のウタキの中のイビ ④ムラガー

⑤湧川の神アサギ ⑥新里ヤーの位牌や図像

⑦湧川の塩田跡 ⑧報告会
第3回 2007年8月11日(土)(7月は台風のため中止。8月へ)
湧川は1738年に創設された村(ムラ)です。現在の湧川から呉我山にかけて、呉我・振慶名・我部・松田・桃原の5つの村がありました。5つの村は羽地間切(現在名護市)ですが、1690年以前は今帰仁間切の内でした。1690年頃今帰仁間切と羽地間切の境界線の変更があり、それらの5つの村とその場所を羽地間切の領地としました。ですから、『琉球国由来記』(1713年)では、羽地間切の村となっています。
その後、1736年に蔡温は狭い場所に5つの村があり、山を切り開いて山が荒れるので村を移すことになります。呉我と振慶名は羽地間切(現在地)へ。我部と松田は屋我地島へ移動させます。(桃原村はどこへ?) 5つの村のあった場所は今帰仁間切の領地とします。
5つの村が移動した場所に1738年に湧川村を創設します。村を創設し山の管理が目的だったようです。新しく村が創設されると、そこにウタキや神人などを置き、他の同様の村の形態をつくりだします。他のからの移住者で作った村なので寄留士族が6割近くおり、今帰仁村(そん)内の他の村(ムラ)とは、言葉や生活習慣が異なっています。そのような歴史や文化を持った湧川の調査をします。
昭和36年頃まで内海では塩づくりが盛んに行われていました。今でもヤガンナ島や海岸に塩田跡の石垣をみることができます。また、湧川地内に我部村があった頃のウタキや井戸、スガーのウタキ(塩のウタキ)が今でもあり、我部の人々が祭祀で訪れます。
午前中「ムラ・シマ講座」(湧川)を行う。7月と8月は台風と大雨で開催することができませんでした。今日は天気がよく、青空は高く感じます。かすかな秋の気配なのかもしれません(日差しは、まだまだ強いです)。
1736年の湧川村の新設は以下のようなことが読み取れる。人口の増加や蔡温の山林政策だと記されるが、それだけではない。以下のようなことが読み取れる(詳細については別稿で紹介する)。
・現在の湧川地域は1690年以前は今帰仁間切の内である。
・1690年頃今帰仁間切から羽地間切域となる。
・1736年に湧川地内(羽地間切)にあった5つの村(呉我・振慶名・我部・松田・桃原)を現在地へ移動させる。
・1736年に5つの村を移動させると、そこは今帰仁間切域とする。
・1738年に湧川村を創設村する。
・『琉球国由来記』(1713年)に出てくる呉我・松田・振慶名・我部村は現在の湧川内にあった、
・上書の我部巫火神(我部・松田)・我部村神アシアゲ・松田村神アシアゲ・掟神火神・呉我村神アシアゲ
は湧川地内にあった時代である。
・1738年に新設された湧川村に御嶽や神アシアゲをつくり祭祀を行っている。
・我部と松田の村は屋我地島へ、振慶名は羽地間切の中央部へ(羽地大川流域)、呉我村は羽地大川
の河口域に移動する。
・村が移動するがノロ管轄は変わることなく我部ノロ管轄である。(移動前は近隣にあった村が遠距離、
あるいは海越となるが変更されることはなかった。
・現在でも湧川のウプユミとワラビミチの時、我部・呉我などから神人が湧川にやってくる。
・『琉球k国由来記』(1713年)の頃の今帰仁間切の地頭代は「湧川大屋子」であったが、新設村に湧川村
と名づけ、その後の資料を見ると今帰仁間切の地頭代は古宇利親雲上を名乗るようになる。
・村移動は羽地大川沿いの開拓と屋我地島の開拓にあったと見られる。
・湧川にある奥間アサギは奥間親雲上の家跡とみられる。
・奥間親雲上は羽地間切我部村(1736年移動前なので現湧川地内)生まれである。
・奥間親雲上は羽地間切親川村地頭代立川親雲上が問題を起こし家内取揚げ、流刑にされたとき、
南風掟役であったが職を辞し今帰仁間切勢理客村に屋敷を構えた。今帰仁間切の役職を戴き首里
大子、さらには地頭代までなる。
・奥間親雲上の生まれ故郷である我部村(現湧川地内)の祭祀と今でも密接に関わっている。
・奥間親雲上は雍正5年(1727年死去)している。現湧川地内にある奥間アサギは奥間親雲上の
今帰仁間切勢理客村に移動する前の屋敷とみられる。そのアサギ内には火神が祭られている。
・勢理客村に移った奥間親雲上の一族は今帰仁間切の地頭代や湧川親雲上や首里大屋子・兼次
親雲上・諸喜田大屋子などの間切役人を出している(勤職書あり)。
・その家筋は嶋スンコノロクモイ(勢理客ノロ)を出す家でもある。
・奥間親雲上の墓所はヤガンナ島にあった。


▲奥間親雲上の屋敷跡とみられる奥間アサギ ▲奥間親雲上一族の墓のあるヤガンナ島
湧川の講座が開催できました。台風や大雨で順延になっていました。湧川のヌルドゥンチ跡、御嶽、ムラガー、神アサギ、新里ヤー、そして塩田跡まで行きました。




③湧川のウタキの中のイビ ④ムラガー


⑤湧川の神アサギ ⑥新里ヤーの位牌や図像


⑦湧川の塩田跡 ⑧報告会
第3回 2007年8月11日(土)(7月は台風のため中止。8月へ)
第15期(第3回) ムラ・シマ講座開催のお知らせ
雨のきせつも過ぎて、暑い夏がやってきましたね。でもあと少ししたら、みなさんが待ちに待った夏休みです。暑さに負けずがんばっていきましょう。
さて、第3回のムラ・シマ講座は、「湧川(わくがわ)」のちょうさです。湧川がどんな成り立ちになっているか。また、でどんな発見があるのか、お楽しみに♪
さて、第3回のムラ・シマ講座は、「湧川(わくがわ)」のちょうさです。湧川がどんな成り立ちになっているか。また、でどんな発見があるのか、お楽しみに♪
☆ 8月11日(土) 午前9時に歴史文化センターに集合
↓ 出席の確認
↓ 9:40 (湧川へバスで出発)
↓ 湧川の公民館着(10:00)
↓ 神人のヌルドゥンチ
↓ 湧川のウタキ(イビ・イビヌメー)
↓ ムラガー
↓ 神アサギ・奥間神アサギ
↓ 新里ヤー
↓ ヒチャガブ(スガーのウタキ)
↓ 塩田跡
↓ 歴史文化センター(12:30 解 散)
☆ 持ってくるもの・・・・・2Bのえんぴつ、消しゴム、タオル、水とう、ぼうし
☆ かならず運動ぐつをはいて来てください! サンダルやぞうりではダメ。ケガをします。
♪お休みをするときは電話してください! 56‐5767 歴史文化センターまで
♪雨がふったら、歴史文化センターの中で行います。
↓ 出席の確認
↓ 9:40 (湧川へバスで出発)
↓ 湧川の公民館着(10:00)
↓ 神人のヌルドゥンチ
↓ 湧川のウタキ(イビ・イビヌメー)
↓ ムラガー
↓ 神アサギ・奥間神アサギ
↓ 新里ヤー
↓ ヒチャガブ(スガーのウタキ)
↓ 塩田跡
↓ 歴史文化センター(12:30 解 散)
☆ 持ってくるもの・・・・・2Bのえんぴつ、消しゴム、タオル、水とう、ぼうし
☆ かならず運動ぐつをはいて来てください! サンダルやぞうりではダメ。ケガをします。
♪お休みをするときは電話してください! 56‐5767 歴史文化センターまで
♪雨がふったら、歴史文化センターの中で行います。
台風が近づいています。台風の場合はお休みになります。そのときは、前日に電話で連絡します(連絡がつかないばあいがあります。そのときは、電話で確認おねがいします。)
【湧川の歩み】湧川は1738年に創設された村(ムラ)です。現在の湧川から呉我山にかけて、呉我・振慶名・我部・松田・桃原の5つの村がありました。5つの村は羽地間切(現在名護市)ですが、1690年以前は今帰仁間切の内でした。1690年頃今帰仁間切と羽地間切の境界線の変更があり、それらの5つの村とその場所を羽地間切の領地としました。ですから、『琉球国由来記』(1713年)では、羽地間切の村となっています。
その後、1736年に蔡温は狭い場所に5つの村があり、山を切り開いて山が荒れるので村を移すことになります。呉我と振慶名は羽地間切(現在地)へ。我部と松田は屋我地島へ移動させます。(桃原村はどこへ?) 5つの村のあった場所は今帰仁間切の領地とします。
5つの村が移動した場所に1738年に湧川村を創設します。村を創設し山の管理が目的だったようです。新しく村が創設されると、そこにウタキや神人などを置き、他の同様の村の形態をつくりだします。他のからの移住者で作った村なので寄留士族が6割近くおり、今帰仁村(そん)内の他の村(ムラ)とは、言葉や生活習慣が異なっています。そのような歴史や文化を持った湧川の調査をします。
昭和36年頃まで内海では塩づくりが盛んに行われていました。今でもヤガンナ島や海岸に塩田跡の石垣をみることができます。また、湧川地内に我部村があった頃のウタキや井戸、スガーのウタキ(塩のウタキ)が今でもあり、我部の人々が祭祀で訪れます。
田植え
伝統楽器「楽」作りで田植え/湧川小中2000年4月14日


【今帰仁】伝統楽器作りで田植えに挑戦-。今帰仁村立湧川小中学校(我喜屋稔校長)の中学3年生15人は13日、今帰仁村湧川区(与儀常次区長)の水田で同区の伝統楽器「楽」の部品となるワラ作りのために田植えを行った。教師や区民ら約20人が慣れない生徒の田植えを手伝った。植えた苗は茎が太く部品に適した「台中65号」。7月に刈り取り、乾燥させワラにする。
「楽」は1998年に村指定文化財に選ばれた同区の伝統芸能「路次楽ろじがく」で使用するラッパ状の楽器。ワラは「楽」の音を出すかなめの部分に使用する。
田植えに初挑戦の生徒らはぬかるんだ田んぼを歩くだけでも一苦労。地域住民の指導で苗を四本ずつ一組にし、50坪(約165平方メートル)の田んぼに同間隔で一束ずつ植えていった。
嘉陽沙紀さん(14)は「慣れていないので腰が痛くて大変だった。でも楽しかった」とニッコリ。島袋潤君(14)と石川真君(14)は「地域の伝統文化は大切に守っていきたい」と話していた。
2010年9月12日日曜日
2010年9月11日土曜日
テレファーム
農作物遠隔栽培WEBシステム『テレファーム』サービス開始
株式会社テレファーム
提供元: @Press
農村地域の活性化を目指し設立された株式会社テレファーム(本社:愛媛県松山市、代表取締役:遠藤 忍、以下 弊社)は、パソコンやモバイル端末を使用し、月額500円(税込)から始められる農作物遠隔栽培WEBシステム、『テレファーム』のサービスを2010年 9月1日より開始します。
【『テレファーム』とは】
パソコンや携帯端末、ゲーム端末などを使って、インターネット上で農薬、化学肥料を一切使用しない有機栽培野菜の遠隔栽培を行います。現実の農場と連動 しており、WEB上で指示(栽培作物の選択、栽培方法、使用資材を指示)したとおりに、実際の農場で栽培し、収穫された有機栽培野菜が自宅に届けられると いう、新しい農業サービスになります。
また、参加者自身が農作物の栽培から、その価格までを決めて販売することが可能であり、独自の流通形態を持たせることで、WEBシステムと参加者が、農家を生産から販売まで総合的にバックアップする農業活性化事業です。
URL : http://telefarm.net
動画説明: http://telefarm.net/info/guide/video.php (99秒間)
【遠隔農場『テレファーム』の特徴】
・農作物栽培料、システム使用料などを合わせた農業サービス利用料(月額500円/農地1区画1〜2平方メートル)という安価な設定。
・食への安全安心という消費者ニーズに対応。参加者自身が栽培作物、栽培資材を選択し、その栽培状況、栽培過程をWEBシステムによって、随時観察、監視することが可能。
・入手しにくく、高価な有機栽培の野菜を手軽に割安で手に入れることが可能。
・飲食店などは、手軽な契約農家として利用することが可能。
・収穫された農作物は、システム内の参加者同士のコミュニティサイトを通じて、参加者間での農作物の物々交換、農作物販売、情報交換等が可能。
・参加者はシステム内の弊社が運営する農作物販売サイトをとおして、収穫された農作物のトレーサビリティ(農作物の品種や使用資材、栽培履歴)を公開し、一般消費者向けにも、販売(弊社に販売委託)が可能。
・参加者自身が農作物の価格を決めて販売することが可能。
【開発の背景】
現在の農業は、収入が低く不安定であり、それが原因となって担い手も不足し、高齢化の影響で農業従事者が減り、耕作放棄地が増えていくという悪循環に陥っています。
そこで弊社は、衰退する農業、農村地域の振興のため、農業に月額の安定した収益構造が必要であると考え、それを実現する手段として、欧米では広く普及し ているCSA(※)(地域支援型農業)という会員制の提携農業を、日本に普及させることが必要であると考えました。『テレファーム』は、CSAという日本 では、まだマイナーな会員制の提携農業を、誰もが容易に参加できるインターネットサービスとして、新しい独自の形態を持たせ普及させることで、農業という 1次産業を、農作物の栽培サービスという、サービスの形で提供する3次産業に変えて提供する事業です。そうすることで、農作物の相場に関係なく、毎月安定 した収入を農家にもたらすことが出来ます。
【本事業の意義】
『テレファーム』は生産者、消費者が相互の利益関係を築くための新しい農業サービスです。
生産者側では、安定収入を実現することで、農業の担い手対策、新規就農者の育成・支援、衰退する農村地域の活性化対策など、現在の農業が抱える深刻な問題の解決策につながる社会的事業になると考えています。
また、消費者側では、食の安全が叫ばれる中、有機栽培、無農薬栽培といった安全性の高い野菜へのニーズが高まると共に、その栽培過程の信頼性の確保が大切になってきています。
『テレファーム』では有機無農薬栽培による野菜づくりに拘るだけでなく、その栽培過程をインターネット上で消費者が、常時監視できる仕組みになっており、食の安全面でも貢献します。
現在、有機栽培野菜の流通量は全野菜流通量の0.2%程度といわれおり、消費者が望んでも供給不足で手に入れにくく、高価になってしまいます。『テレ ファーム』を利用すれば、手に入れにくい有機栽培野菜を割安な価格で手にすることが可能になり、有機野菜や無農薬野菜が一般的に普及し、身近になります。
※CSA(Community Supported Agriculture)
「地域でささえる農業」(地域支援型農業)。消費者と農家が相互に支え合う農業形態のことで、「消費者は新鮮で出所のはっきりした安全な農作物を受ける代わりに、その農地、農家をしっかり支援する。そして、天候不順による不作などのリスクも共有する。」というもの。
事業形態として、農家が数十人の消費者と年間契約し、野菜を供給する仕組みで、地域の消費者が農家に毎月の契約料を前払いで支払い、要望する農産物を栽培してもらい、出来た農作物は消費者に平等に分けあうという会員制の提携農業。
「CSAは1970年代に日本で生まれ、生産者と消費者による「提携」という営農形態でスタートしたものだが、当時の日本では根付かず、アメリカに渡っ て発展。アメリカでは1986年に2つの農場で始まり、1990〜2000年代に急増。2007年に調査したところ、12,549農場に上っていた。多く は化学肥料や農薬を使わない有機農業の農家をいう。(1月12日 産経新聞 一部抜粋)」
【会社概要】
社名 : 株式会社テレファーム
代表取締役: 遠藤 忍
設立 : 2007年3月
資本金 : 1,000万円
所在地 : 愛媛県松山市山西町903番地1 石田ビル1F
URL : http://telefarm.net
【『テレファーム』とは】
パソコンや携帯端末、ゲーム端末などを使って、インターネット上で農薬、化学肥料を一切使用しない有機栽培野菜の遠隔栽培を行います。現実の農場と連動 しており、WEB上で指示(栽培作物の選択、栽培方法、使用資材を指示)したとおりに、実際の農場で栽培し、収穫された有機栽培野菜が自宅に届けられると いう、新しい農業サービスになります。
また、参加者自身が農作物の栽培から、その価格までを決めて販売することが可能であり、独自の流通形態を持たせることで、WEBシステムと参加者が、農家を生産から販売まで総合的にバックアップする農業活性化事業です。
URL : http://telefarm.net
動画説明: http://telefarm.net/info/guide/video.php (99秒間)
【遠隔農場『テレファーム』の特徴】
・農作物栽培料、システム使用料などを合わせた農業サービス利用料(月額500円/農地1区画1〜2平方メートル)という安価な設定。
・食への安全安心という消費者ニーズに対応。参加者自身が栽培作物、栽培資材を選択し、その栽培状況、栽培過程をWEBシステムによって、随時観察、監視することが可能。
・入手しにくく、高価な有機栽培の野菜を手軽に割安で手に入れることが可能。
・飲食店などは、手軽な契約農家として利用することが可能。
・収穫された農作物は、システム内の参加者同士のコミュニティサイトを通じて、参加者間での農作物の物々交換、農作物販売、情報交換等が可能。
・参加者はシステム内の弊社が運営する農作物販売サイトをとおして、収穫された農作物のトレーサビリティ(農作物の品種や使用資材、栽培履歴)を公開し、一般消費者向けにも、販売(弊社に販売委託)が可能。
・参加者自身が農作物の価格を決めて販売することが可能。
【開発の背景】
現在の農業は、収入が低く不安定であり、それが原因となって担い手も不足し、高齢化の影響で農業従事者が減り、耕作放棄地が増えていくという悪循環に陥っています。
そこで弊社は、衰退する農業、農村地域の振興のため、農業に月額の安定した収益構造が必要であると考え、それを実現する手段として、欧米では広く普及し ているCSA(※)(地域支援型農業)という会員制の提携農業を、日本に普及させることが必要であると考えました。『テレファーム』は、CSAという日本 では、まだマイナーな会員制の提携農業を、誰もが容易に参加できるインターネットサービスとして、新しい独自の形態を持たせ普及させることで、農業という 1次産業を、農作物の栽培サービスという、サービスの形で提供する3次産業に変えて提供する事業です。そうすることで、農作物の相場に関係なく、毎月安定 した収入を農家にもたらすことが出来ます。
【本事業の意義】
『テレファーム』は生産者、消費者が相互の利益関係を築くための新しい農業サービスです。
生産者側では、安定収入を実現することで、農業の担い手対策、新規就農者の育成・支援、衰退する農村地域の活性化対策など、現在の農業が抱える深刻な問題の解決策につながる社会的事業になると考えています。
また、消費者側では、食の安全が叫ばれる中、有機栽培、無農薬栽培といった安全性の高い野菜へのニーズが高まると共に、その栽培過程の信頼性の確保が大切になってきています。
『テレファーム』では有機無農薬栽培による野菜づくりに拘るだけでなく、その栽培過程をインターネット上で消費者が、常時監視できる仕組みになっており、食の安全面でも貢献します。
現在、有機栽培野菜の流通量は全野菜流通量の0.2%程度といわれおり、消費者が望んでも供給不足で手に入れにくく、高価になってしまいます。『テレ ファーム』を利用すれば、手に入れにくい有機栽培野菜を割安な価格で手にすることが可能になり、有機野菜や無農薬野菜が一般的に普及し、身近になります。
※CSA(Community Supported Agriculture)
「地域でささえる農業」(地域支援型農業)。消費者と農家が相互に支え合う農業形態のことで、「消費者は新鮮で出所のはっきりした安全な農作物を受ける代わりに、その農地、農家をしっかり支援する。そして、天候不順による不作などのリスクも共有する。」というもの。
事業形態として、農家が数十人の消費者と年間契約し、野菜を供給する仕組みで、地域の消費者が農家に毎月の契約料を前払いで支払い、要望する農産物を栽培してもらい、出来た農作物は消費者に平等に分けあうという会員制の提携農業。
「CSAは1970年代に日本で生まれ、生産者と消費者による「提携」という営農形態でスタートしたものだが、当時の日本では根付かず、アメリカに渡っ て発展。アメリカでは1986年に2つの農場で始まり、1990〜2000年代に急増。2007年に調査したところ、12,549農場に上っていた。多く は化学肥料や農薬を使わない有機農業の農家をいう。(1月12日 産経新聞 一部抜粋)」
【会社概要】
社名 : 株式会社テレファーム
代表取締役: 遠藤 忍
設立 : 2007年3月
資本金 : 1,000万円
所在地 : 愛媛県松山市山西町903番地1 石田ビル1F
URL : http://telefarm.net
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